仙台に来て あっという間に2年が過ぎてしまいました
現在の工事も 残すところあと1年というところまできていましたがっ...
この震災で 再開未定の中止となってしまいました
こちらで 復興の仕事にまわるのかと思ってましたがっ...
予感がはずれてしまいました
2年も居たのにっ どこにも行ってないっ...
仙台とも別れの時が来てしまいました
つぎの赴任先が決まりました
大阪です
阪神大震災の復興工事以来となります
とりあえず 明日 大分に帰ります
仙台 いい街でした
工事の再開時に タイミングが合えば また来たいところです。
最近の状況です
スーパーもこの通り
まるで遊園地のアトラクションを待つかのようにっ
自販機がっ!
現在の工事も 残すところあと1年というところまできていましたがっ...
この震災で 再開未定の中止となってしまいました
こちらで 復興の仕事にまわるのかと思ってましたがっ...
予感がはずれてしまいました
2年も居たのにっ どこにも行ってないっ...
仙台とも別れの時が来てしまいました
つぎの赴任先が決まりました
大阪です
阪神大震災の復興工事以来となります
とりあえず 明日 大分に帰ります
仙台 いい街でした
工事の再開時に タイミングが合えば また来たいところです。
最近の状況です
スーパーもこの通り
まるで遊園地のアトラクションを待つかのようにっ
自販機がっ!
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久しぶりですっ。
とりあえず元気です。
未だに余震が続いています。
まぁ 色々と大変でした。
当日、事務所の中にいたのですが、ロッカー等全て倒れてきました。
そう言えば、新潟地震の時も上越にいたのですが、
あの時はホテルの高層階に宿泊していたのですが、
さすがにこのままではビルが折れると覚悟を決めたのと
同じくらいの揺れでした。
ようやく外に飛び出し。
ワンセグTVで状況を見ていたら、「10mの津波」!?
地盤の高さが4mなので、6m足りないじゃん!!
この辺りは海岸からの平地で、山も無く、高台もなく
高い建物まで移動しなくてはなりませんでした。
ヘリコプターからは何か言っているようでしたが、よく判りませんでした。
そのうち、事務所の前であたふたした私たちの前に1台のタクシーがっ!
車が止まる前に、自動ドアがバーンと開き
運転手が”乗ってくぅ?”と言うと思っていたのが
「津波がそこまで来とる!逃げろー!!」と一言残し、行ってしまいました。
そこから慌てて動き出し、「どこが高い?」の連発で、近くの病院に退避しました。
携帯は掛けまくりましたが、全く通じず。電池が無くなるだけでした。
夕方から雪も降り、病院のロビーの暖房も止まるし、寒い夜を過ごしました。
アパートもこの通りでっ。
食器は全滅、電子レンジやトースター電気ポットもNGでした。
生き残ったのは、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、TVでした。
電柱も折れたり、傾いたりでっ。
風呂にも入れず、寝る時もまた地震が来ても、すぐに非難出来るように
服を着たまま布団に入るという状態でした。
水道はこの辺り(若林区)は無事でした。
1週間後に電気が復旧し、寒さから逃れる事ができました。
ガスの復旧は目途がたっていないようです。
道路をみても、至る所マンホールが上がったり、陥没があったりしてっ
下水処理もおいつていない様子です。
この写真の後ろに高速道路があるのですが、
そこで津波が止まった様でした。
ここからです。
ガンバロー東北!
とりあえず元気です。
未だに余震が続いています。
まぁ 色々と大変でした。
当日、事務所の中にいたのですが、ロッカー等全て倒れてきました。
そう言えば、新潟地震の時も上越にいたのですが、
あの時はホテルの高層階に宿泊していたのですが、
さすがにこのままではビルが折れると覚悟を決めたのと
同じくらいの揺れでした。
ようやく外に飛び出し。
ワンセグTVで状況を見ていたら、「10mの津波」!?
地盤の高さが4mなので、6m足りないじゃん!!
この辺りは海岸からの平地で、山も無く、高台もなく
高い建物まで移動しなくてはなりませんでした。
ヘリコプターからは何か言っているようでしたが、よく判りませんでした。
そのうち、事務所の前であたふたした私たちの前に1台のタクシーがっ!
車が止まる前に、自動ドアがバーンと開き
運転手が”乗ってくぅ?”と言うと思っていたのが
「津波がそこまで来とる!逃げろー!!」と一言残し、行ってしまいました。
そこから慌てて動き出し、「どこが高い?」の連発で、近くの病院に退避しました。
携帯は掛けまくりましたが、全く通じず。電池が無くなるだけでした。
夕方から雪も降り、病院のロビーの暖房も止まるし、寒い夜を過ごしました。
アパートもこの通りでっ。
食器は全滅、電子レンジやトースター電気ポットもNGでした。
生き残ったのは、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、TVでした。
電柱も折れたり、傾いたりでっ。
風呂にも入れず、寝る時もまた地震が来ても、すぐに非難出来るように
服を着たまま布団に入るという状態でした。
水道はこの辺り(若林区)は無事でした。
1週間後に電気が復旧し、寒さから逃れる事ができました。
ガスの復旧は目途がたっていないようです。
道路をみても、至る所マンホールが上がったり、陥没があったりしてっ
下水処理もおいつていない様子です。
この写真の後ろに高速道路があるのですが、
そこで津波が止まった様でした。
ここからです。
ガンバロー東北!